Reiko: 2009年11月アーカイブ

10091127.jpg 昨日仙台フィルハーモニー管弦楽団と指揮者の梅田俊明氏と共に、新実徳英氏の新作「ヴァイオリン協奏曲第2番~トルトゥス・ヴィターリス~」を世界初演いたしました。

10月末に集中して練習を始めてから昨日のコンサートまでの一ヶ月は、正に「作曲家の頭の中で理想の音として存在していたものを、具現化して現実世界に送り出す」という、演奏家としての大きな責任に対する緊張感と、自分の創造力を総動員して「新しい音」にチャレンジすることが許されることへのワクワクするような興奮などが綯い交ぜになって、刺激的で密度の濃い時間を過ごしました。

25日に仙台に入り、最初のリハーサルで初めてオーケストラが冒頭部分を弾き始めたとき、極度の興奮を感じていたせいでしょうか、何度も頭の中でシミュレーションしていたはずのオーケストラの前奏部分が数秒間全く理解できず、私のソロが入る所に来ても呆然と立ち尽くすという事態に陥ってしまいました。オーケストラを止めてもらい、それでも数秒間「アレッ、私の理解していたのと違う・・・?」などとスコアをめくりぼやいていたのですが、数十秒で頭の中がリセットされ正常に戻りました。このようなアクシデントが起こったときには、むしろ自分のペースで集中できるようになることが多く、心の中で「よし、これでこの作品に対する最初のイニシエーションは完了!」と自分に言い聞かせました。それからはリハーサルの回を重ねるごとに、オーケストラの中のそれぞれの楽器の音形やフレーズの繋がりが、音の流れの中で段々に聴き取れるようになり、それに伴って作品に対する自分の音楽的姿勢もクリアになっていきました。

聴衆の大きな拍手と共にコンサートが終わり、何人かの方から直接に「あなたのこの曲に対する共感が強く伝わってきて、この音楽に深く引き込まれた。」と言われた時にはとても嬉しく、また新実徳英氏ご自身が「とても感動した」とおっしゃってくださった時には、大役を果たせたことに心からほっとして幸福に感じました。

 

上の写真はコンサート後の打ち上げ会で、新実氏、梅田氏と撮ったスナップです。新実氏だけフォーカスが少しぶれているので、1120日のブログに書いた「世界初演づくし」のコンサートにおいて、西村朗氏がステージで語ったエピソード的ジョークを思い出しました。音楽における「ゆらぎ」を大切にしていると語る伊藤氏に対して「それは新実さんや池辺さんが酔っ払ってユラユラしているような「揺らぎ」と同じようなことでしょうか??」 この写真を撮った時も、新実先生は美味しい日本酒を楽しんでいらっしゃいましたから、少々「揺らい」でいたのかも:-)

 

リハーサルからコンサートまでの数日間、新実先生には音楽について数々の興味深いお話を聞かせていただきましたが、その中で最も強く私の心に残ったのは次のような言葉です。「僕は自分の音楽に革新的な音を特に求めていない、根源的な音を求めている。」

この言葉は正に音楽の本質的な力を語っているのではないでしょうか。

私達の中に眠っている根源的な力=エネルギーを呼び起こさせるものとしての「音楽」。

 

今回の協奏曲では、第1楽章は「意識界」、第2楽章は「無意識界」、第3楽章は「無我」に通じていると新実氏はプログラムノートに書いています。第2楽章で、オーケストラとヴァイオリンの独奏が螺旋を描くように無意識界を上昇したり下降したりしますが、ある地点に到達すると管楽器群の低いC#音の繰り返しと共に、まるでチベット仏教で吹かれるホルンさながらに大地を揺るがすような低音の強いエネルギーを送り始める。この瞬間、私はとてつもなく大きなエネルギー的根源と一体になったような感覚に捉えられ、私の意識が肉体を突き抜けて宇宙的な力と合体するような気持ちになりました。この感覚は、250年以上前の偉大なJ.S.バッハの作品からも強く受けるもので、例えばヴァイオリン独奏で壮大な宇宙的空間を構築するかのような「シャコンヌ」もそうですし、また今年の春に「ゴールドベルク変奏曲」の弦楽トリオ版を演奏したときにも同じような感覚に何度もとらわれました。「神」という至高の存在の現す宇宙的な真理を音楽で表現しようと考えたバッハと、新実先生の求めている「根源的な音」とは、音響的な手段は同じではなくても、意識のレベルでは共通のものを語っているのではないでしょうか?

ところで、第2楽章で大変な苦労をした「9度」音程は、コンサートホールでオーケストラの響きとブレンドすると不思議なほど美しかったことを、皆様にご報告しておきます。ユニバーサルな意識を深く内包する新しい名曲として、これから世界的に多くの演奏会で取り上げられることを願っています。

一週間後の27日、仙台で世界初演することになっている新実徳英氏のヴァイオリン協奏曲第2番。紙に書かれた音譜が音として姿を現し、「音楽」として自分なりの意味と形が形成される段階に何とか到達、今日は新実氏に実際に演奏を聴いてアドヴァイスをしていただきました。

10月の末から譜面を勉強し始めたときは、とにかく音を正確に取ること=左手のフィンガリングを試行錯誤しながら決定していくことから始まり、オーケストラのスコアに色鉛筆で留意すべき場所に印を付け、ただの黒い音符の列に見えていたものが、感情を伴い意味を持ったものとして自分自身に体感されるところまで持っていく。これは俳優が役作りをする心境に似ているのかもしれません。作品に自身を重ね合わせ、「共感」を創り出していく、という意味で。

この協奏曲では、特に第2楽章において「9度」という音程が重要な意味を持って演奏されます。特にソロの冒頭は、「9度」のままの移行で高い音域まで上り詰め、そこから一気にそのままの音程で下降していくというパッセージがあります。これは正直に言って、最初はかなり練習するのに苦労しました。というのは、「9度」というのはオクターヴからもう一音外に広げた音程で、いわゆる不協音程ですから、二つの音の波が協和せずぶつかり合って強い振動を引き起こし、演奏している私の身体にビリビリと伝わってくるのです。私の耳と身体がこれに慣れるまでにはかなりの時間が掛かりましたが、御心配はいりません。聴いている方は大丈夫。それにしても、「音」=エネルギー、これは身を持って実感しました!

 

打ち合わせの後、世界初演作品ばかりのコンサートに招待していただきました。全音楽譜出版社主催の「四人組とその仲間たち、室内楽コンサート<打楽器の饗宴>」。池辺晋一郎氏、新実徳英氏、西村朗氏、金子仁美氏、そして伊藤弘之氏の世界初演作品。特に新実、西村両氏の独奏マリンバのための作品群は、私自身も来年初めてマリンバという楽器と共演する予定が入っていますから、とても興味を持って聴かせていただきました。演奏された吉原すみれさんのマリンバの音は深く重厚で、色彩感もくっきりと美しく、素晴らしかったと思います。ヴァイオリンとマリンバの音がどのようにブレンドできるかは未知数ですが、この新たな挑戦が少し楽しみになってきました。

 

コンサート後のレセプションでは、私の教えている国際教養大学に何度か講義に来ていただいている西村朗氏、先日のブログにエピソードを書かせていただいた佐藤聰明氏、そしてアメリカ留学したばかりの時に随分お世話になった猿谷紀朗氏、そして相変わらず親父ギャグ(?)全開の池辺晋一郎氏などと久しぶりにお話することができて、とても楽しい時間があっという間に過ぎてしまいました。

 

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