12月5日 全日本学生音楽コンクールの全国大会審査を終えて

user-pic
0

仙台から直接横浜に入り、1129日と30日の二日間、横浜みなとみらいホールにて行われた第63回全日本学生音楽コンクール全国大会の審査員を務めました。

演奏に点数を付けるのは本当に難しい。特に、全国大会は全員が好きな曲をそれぞれに選んで演奏するので、同一の課題曲で比較をする時とは違い、曲に相応しい技術と表現力を持っているかどうかで全く違う曲の審査基準をすり合わせねばならないのですが、シベリウスの協奏曲の第1楽章とウィニアフスキの「ファウスト幻想曲」を比べるなどは、想像力をフル回転させても難しい。

でも、演奏において一番大切なことは、聴いた人の心に永く「何か」を残すこと。数日経った今、私の印象に残っているのは、小学校の1位辻彩奈さん、高校の1位大江馨君のお二人です。辻さんはサン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソを的確なテクニックでセンス良くまとめていましたし、大江君もサン=サーンスのハバネラを伸びやかな音と音色の陰影を持って弾いてくれました。

一日目の審査を終え、何人かの審査員の先生方とエレベーターに乗ると、小学校の部で2位になった福田廉之介君がお母さんと一緒に乗ってきました。彼は小学校4年生の一際小さい身体でチャイコフスキーの協奏曲の第3楽章を生き生きとした喜びを持って演奏してくれました。ヴァイオリンを弾くことが好きでたまらない、という気持ちが伝わってくる演奏でした。エレベーターの中で、彼は「2位になって悔しい、もう弾くのをやめたい!」と。私は「そんなことでやめたくなっちゃうの?人生は思うようにならないのが普通、今から全て思い通りになっていたら、後でいやな思いをすることになるよ。これからいろんなことがあるはずだから、短気を起こしていたら持たないよ!」などと、狭い空間で思わず人生相談のブースのような雰囲気になってしまいましたが、「悔しい」と思うことは大事なことです。そういう気持ちを持った子は大きく進歩すると思います。私も小さい頃は随分悔しいと思う経験をし、乗り越えてきましたが、それらの経験は今になっては私を成長させてくれる貴重な機会だったと思っています。

そうやって苦しみを伴いながらも芸術に真剣に向き合い続けていくと、いつか無我に近い姿勢、芸術の神に対する心からの感謝の気持ちと幸福感が現れてくるのではないでしょうか?32歳で早世した明治の天才的な彫刻家、萩原碌山の言葉をどこかで読んだことがありますが、それは「何もなさぬうちに逝くこともまた自分の天命として受け入れる覚悟がある」というような意味の言葉だったように記憶しています。きっと彼の晩年の言葉でしょうが、芸術に対する真摯で純粋な姿勢に、深い共感を覚えました。

ここ数年、私もこのような境地になれたらなあ、と思っています。

 

ところで、音楽を勉強する子供たちに是非心がけていただきたいことがあります。それは室内楽の経験をなるべく小さいうちから多く重ねていくこと。欧米の演奏家の多くは室内楽を小さいうちから楽しみながら勉強しています。そのことによって音楽の捉え方が多面的になり、ソロを弾くときにも曲の理解が自分のソロパートだけに留まらないし、音色に対する感覚も豊かになり、表現の幅も広がります。日本ではソロ曲の勉強に重きを置きすぎているのではないでしょうか。音楽の勉強をしている皆さんにはソロの曲以外の勉強も幅広くしていただくことをお勧めします。